9.11

9.11の衝撃のニュースから、今日で5年目になる。
いつもの通りにニュースステーションにチャンネルを合わせると、にわかには信じられない光景をテレビは映していた。
大きな飛行機がビルを突き破るように進みいきなり突き刺さっていった。
世界中のテレビがこの光景を写し、テロを直感した瞬間である。
その後の5年間に日本はイラクへ自衛隊を派遣し米国では毎日戦死者を出した。
復讐を望んでないという遺族の声はフセイン憎しとこぶしをあげるブッシュにかき消された。
5年経ちあれはなんだったのかと色々な声があがり、冷静な意見も聞けるようになったが、あの段階では世界中が犯人に怒り、憎んだ。
早い段階でこの復讐戦争に疑問の声は上がっていたが、ブッシュ大統領も小泉総理も、フセインが核を持っていないという証拠は何もないといい続けた。
判断に間違いがあるかも知れないと思うことはなかったのだろうか。
テロはますます激しくなるような気がしてならない。
人がここまで人を憎み殺せる事が私には分からない。
何が人をこのように動かしているのか、人の心を失うものをまさか信仰とはいうまいと思うが。

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コメント

  1. 5年前リアルタイムで巨大なビルが崩れていくのを見ていました。なんとも言えない虚脱感に襲われたことを覚えています。
    操縦していたテロリストは『神よ(ア・ラー)』といってビルに突っ込んでいったと聞きました。飛行機の人も『神よ』と祈ったといいます。
    『神』ってなんなんでしょうかね。

    • skog
    • 2006年 9月 13日

    いのぶさん こんばんわ
    私もそう思うのですよ。「神」不思議ですね。
    一人一人の胸に宿る「神」は違うようです。
    神はいるとも、いないともいわれるし「神がかり」はあまりいい意味には言われないけど、最後は「神頼み」
    もう、分かりませんね。

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