社会のながれ

数カ月前に近くの小学校のPTA から一枚の紙がポスティングされた。
内容は、各学年の下校時間が記され、時間のある方はこの時間に外に出て児童の下校を見守って欲しいという内容であった。
わが家の子供が登校する頃は、集団登校が普通で高学年児童の班長さんの家の前に母親も集まり送りだしていた。
子供の数も多く子供会の世話をする時はヘトヘトになるほど疲れながら、母親達もどんどん親しくなれた。
当時の心配は交通事故で現在のように犯罪を警戒してというものではなかったが。
この頃の児童に対する犯罪の増加は世相に起因するものがあるような気がしてならない。
現在は競争社会なので、それぞれの能力に応じて生きるのが当然かのようないわれ方もします。
これは強者の論理で世の中は弱者の方が多いということを、この国は忘れてはないだろうか。
家人が現役の頃何処に出張しても国内は日帰りが当然となった。飛行機や新幹線がそれを可能にしたが、移動の時間に考えを纏めたり身体を休めたりする時間はなくなった。
経済効果を重視して、一日24時間を30時間くらいに使おうとしているのが現在である。
それが直ぐに犯罪者の増加に結びついたと短絡にいう積もりはないが、このスピードの乗り物に乗り遅れたり、振り落とされたりすると、リベンジの機会はない。
滋賀県長浜市で起きた母親の幼稚園児殺害事件は保護者も信用出来ないという暗たんたる気持ちになった。自分の子供を自分で守るだけの時間のゆとりはどうしてつくればよいのか。
個人の努力では限界がある。
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