力尽きた2日間|匙を投げられた姉母

何度かキャンセルした写真教室に初めて参加した。
講義のスタートを待っていたかのように携帯が鳴り始めた。
嫌な予感は的中して電話をかけてきたのは施設のナースだった。
「姉母のSPO2の数値が90%を切ったので救急車で日赤病院に向かいます」という知らせだった。
何時かはそんな日が来るのではと覚悟はあったので驚くことは無かった。

家人に同行してもらって、取り敢えず午前中の講義は受けることにした。
午後になっても様子が分からず、家人と施設の看護師さんは廊下でずっと待っていた。
結果、「特に問題は無いので帰ってもいいです」という診断だった。
「入院するともう帰れなくなる可能性がある」と言われて姉母は施設に帰って来た。
私が行くと疲れたのか眠り続けるばかりで、反応が薄い。呼びかけにも応じてくれない。

「今夜にも急変するかも知れませんが、その時はまた来てください」と言われて帰って来たと聞くと不安になった。
夜間はヘルパーさんが一人になるので急変に対応できない。
もう一度日赤に入院を打診する事になった
最初は断られたけれどSPO2が低いのは軽い誤嚥性肺炎の可能性もあるのではと入院が許可され又日赤に引き返す。
姉母は疲れ切っていた。

今朝病院に行くと爆睡中で、起こしても起きようとしなかった。
朝は1割ほどの食事をしたと聞いたけれど信じられない眠り方だ。
主治医の説明は夕方4時からとなったので入院の準備を整えて出直した。
すると、姉母は心不全、じん不全があるけれど、治療の対象ではないという事だった。
先月は脱水症でカリカリに痩せて、その後再び浮腫み始めたという事で受診しているけれどその後少しも良くなっていない。
なので何をしてももう手立てはないという事で退院をすすめられた。
「匙を投げられた」という事になる。
急性期の病院なので治る可能性のある患者さんにベッドを空けて欲しいそうだ。

帰るしかないのだ。
明日の朝退院する事になったけれど、この先どうなるのだろうか。
「急変したらまた救急車で来てください。まあその繰り返しでしょう」
そう、命の消える日までそれを繰り返せば最後は診てあげますと言われたようなものだ。

夜間、若いヘルパーさんには荷が重いようだ。
私が泊まるにしても限界がある。

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