冤罪

何度も、向田邦子の本からで恐縮だけれど、どうしてこうも同じ経験をするのだろうと思う事が度々ある。
「お弁当」の話だ。
未だ給食のなかった頃、私世代は、お弁当を持って小学校に通っていた。

向田の本によると、弁当の時間は嫌でも自分の家の貧富、家族の愛情とか、かまってもらっているかどうかを考えないわけにはいかない時間だったとある。
時々弁当を持ってこない子がいて「忘れた」と「お腹が痛い」と2つの理由を繰り返していつも教室の外に出て行った。
そんな子に対して先生も友達も分けてあげようとはしなかったが、今にして思えばそれは正しかったと思う。
人に恵まれて肩身の狭い思いをするならば、私だって運動場でボールを蹴っていた方がいい.

私の時代も正にその通りだった。
弁当箱の蓋をたて、一口食べては蓋をするのだ。
私の弁当と言えば何時も「鮭弁」
今のように半身ではない、ぶつ切りで表面に塩が白く浮いて辛かった。
今は貴重な鮭だけれど、あの頃は何かというと鮭の頂き物が多かった。
上からぶら下がった鮭が無くなるまで私の弁当は毎日鮭弁当だった。
嬉しいとか、恥ずかしいとかの感情は覚えていない。

それでも弁当の時間は楽しくて、後ろの席の同級生に、しきりに話しかけていた。
当時の学校は終了する前に「反省会」と称して1日の反省をする時間があった
その時に起きた出来事を私は未だに忘れてはいない。
話しかけていた同級生が手を上げて、私を名指した。
「私の弁当が貧相と思って覗き込んだ。」と言うものだった。
名指しされたらみんなの前に出て、その時間内は立たされる。
私は、面食らった。何で「貧相と思った」と決めつけて罪に問われなければならないのか。
小学校の5年か6年生だった。抗議をする力はなかったが、悔し涙が止まらなかった。
同級生は「冤罪の悔し涙」と思ってくれるほど成長してなかったから、卒業時のサイン帳に「反省会で、べそをかいてるあなたを初めて見ました」と書いた友がいた。
そのサイン帳は永久保存している。

向田邦子は「私がもう少し利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何よりも政治、経済、社会について、人間の不平等について学べた時間であった。残念ながら、私に残っているのは想い出と感傷である。」と書かれている。
全く同感である。
お弁当の蓋を立てて箸だけを突っ込んで食べる同級生は、もしかしたら鮭弁が羨ましかったのかも知れないけれど、私はいやいや食べていたのだ。
性格的に蓋で隠すと言う面倒な所作が出来ない子供でもあったし、弁当を隠す同級生の切なさに思いやる気持ちも未だ芽生えていなかった。

上級に進んだ時に「李下に冠を正さず」を知った。
小学生で経験した「冤罪」は辛かった。
けれど、その事は私を成長させたと思っている。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

skogBLOG内の記事検索

カテゴリー

過去の記事

書評・レビューの情報収集

ブログランキングで書評・レビュー関連の情報を収集できます!
ページ上部へ戻る