医療のあり方

明日は義兄の5年祭です。
義兄は頑固者で、医者にかかることを頑なに拒否していました。
初診の時から隠しようもない手術が必要で「皮膚がん」と診断されました。
84歳の義兄には大手術で、10時間を越すとわれ、全身麻酔の時間が長すぎると主治医に聞いても「大丈夫」のいってんばりです。
皮膚科と外科による手術でした。
この場合力を持つのは外科医です。
手術の説明を聞くだけで気が遠くなります。
手術後は凄惨なまでの日々で、元気になるどころか手術をしなければすぐにでも死にますといわれた時より苦しんだだけで逝ってしまいました。
手術の傷口から毎日体液がどんどんでて、栄養失調が素人目にも分かりました。
保険の規定によりアルブミンの注射は制限され、静脈に直接ハイカロリーを入れて欲しいという依頼は血管がもろく難しいと断られ、日々弱っていく義兄に代わり、私は毎日外科や皮膚科の主治医に抗議し、やっと12月15日にハイカロリーを注入することになりました。
それより数ヶ月前に母を介護した時は、内科の先生にハイカロリーを腿からでもいいから入れて欲しいといいましたら先生は「おっ、家族の許可が出たぞー」というや否やすぐに処置をして、一命を取りとめました。
病室で見守る私は「気が散るから」と外に出されました。
しばらくすると「失敗しました」と言う言葉だけで、首に絞められたような黒い斑紋を残す義兄が寝かされていました。
首の静脈がだめなら腿からでもいいといいましたが「そんな不潔なところ」と一蹴され翌日から義兄は意識不明のままでした。
「あけましておめでとうございます」というナースの声で目を上げると外には九州にはまれな雪が舞っていました。
大晦日、お正月も義兄に取り付けられた計器の数字を見つめて過ごしました。
私の剣幕が相当に凄かったと見えて、副院長が部屋に2度ほど言い訳に来ました。
彼は「おしっこが止まりましたから24時間以内ですね」と事もなさげにいってのけ、正確に24時間以内、2日の早朝義兄は旅立ちました。
看護師が私に「訴訟をしますか」と聞いてきました。
その時にそれほど気持ちの余裕はあろうはずもなく、体が震えるばかりでした。
ひと月ほどたって弁護士の事務所に相談にいきましたが「84歳は平均寿命を過ぎているので、医療裁判は難しい」と遠まわしに断られました。
そろそろ、4年が過ぎようとしています。
未だ当時のことが生々しく、医療の不信感をぬぐえずにいます。
いま、反省として「手術をしなければ死にますよ」という言葉は「手術すれば助かりますよ」と聞こえてしまったことです。
84歳で平均寿命が過ぎていようとも、成功率の低い手術なら拒否する道もあったはずと悔やまれます。
母を回復させてくれた内科医と廊下で立ち話をした時に、「手術は成功したけど、患者は死にました」は多々あるよといわれた言葉が耳に残ります。

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