五稜郭-函館

五稜郭について正しい知識はなかった。
戊辰戦争で始まった新政府と旧幕府軍との戦いの最後の地が五稜郭だったとか、土方歳三の終焉の地として断片的に知っている程度だ。
けれど、五稜郭の歴史についての知識はなかった。
次はいつ来れると約束のない函館だからこの祭、しっかり見学していこうと思ったけれど、コロナ禍で館内のガイドさんはお休みだった。
先ずは地上90mの五稜郭タワーから五稜郭の全容を見渡そうと、展望台2階のエレベーターを降りるといきなり見えたのは函館の町並みだった。

立待岬方向函館山は雲の中

津軽海峡の先に下北半島がうっすらと見えた。

真下に五稜郭の星型が良く見えた。
機内からチラッと見えたけれど、ここからならゆっくりと見渡せる。
周りに五稜郭の歴史を書いた紙が貼りだされているので、それを読みながら進んだ。
それによると、鎖国後の開港場として下田と箱館(江戸時代)が選ばれて、アメリカ、イギリス、ロシアと和親条約を結んだ。そして箱館における外国との交渉や蝦夷地の防衛などを目的とした「箱館奉行」を配置したそうだ。
星型の珍しい形は、フランス軍艦の軍人からの情報・教授をもとに、ヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとした設計した。
短い期間に星形の土塁を創り上げた武田斐三郎も、今の時代なら誰が竹田に替われるかと思うと誰も浮かばない。
その後、大政奉還により僅か4年で役割を終えている。
鳥羽伏見の戦いに始まった戊辰戦争は北海道にまで広がり、旧幕府軍は五稜郭を一時占領したけれど、軍艦の沈没によりここの戦いで敗戦し、土方歳三の終焉の地となった。

五稜郭の中に復元された「箱根奉行所」に入ってみると、その建物に施された技術の素晴らしさに日本人の誇りを感じた。

平成22年(2010)庁舎全体の建築面積の3分の1が、初期建設当時と同じ場所、伝統工法、同じ材木を使用して、高い精度で復元された。
復元の模様は映像に残されていて、見ることが出来る。
五稜郭に行くことがあったら、是非映像でご覧ください。
「日本人で良かったー」と思います。

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