久賀島 ― 牢屋の窄に残る受難の記憶

久賀島には、福江島や中通島以上に、厳しいキリシタン迫害の歴史が残されていた。
その象徴ともいえる場所が、「牢屋の窄(ろうやのさこ)殉教記念聖堂」である。
海を見下ろす高台に建つ白い教会は、明るい陽射しの中で静かにたたずんでいた。

中へ入ることはできず、入口のガラス越しに内部を覗いただけだったが、そこからは、かつてこの場所で起きた惨劇を想像することは難しかった。
しかし、明治元年の禁教下、この中には200人を超えるキリシタンが押し込められていた。
牢の広さは、わずか20平方メートルほど。
畳にすれば十二〜十三畳程度しかない。
そこへ200人以上が監禁されたのである。
立っていても身動きが取れず、座ることすらできない。
極限まで詰め込まれた通勤電車のような状態が、八か月も続いたという。
飢えや病、拷問によって39人が命を落とし、さらに出牢後に3人が亡くなった。
合計42人。
数字だけを見れば短い一文だが、その苦しみを思うと息苦しくなる。
人が人に対して、ここまで残酷になれるものなのか。
明るい海に面して建つ教会を前にして、私はその風景をまっすぐ見ることができなかった。
次に向かったのは浜脇教会。

浜脇教会の前身は旧五輪教会である。
木造教会は潮風による傷みが激しく、さらに信徒の増加もあって、1931年(昭和6年)に五島初の鉄筋コンクリート造りの教会へ建て替えられたという。
島の教会には、祈りだけではなく、台風や潮風と向き合ってきた暮らしの歴史も刻まれていた。
久賀島で過ごせる時間はわずか三時間ほど。
帰りの船の時間も気になり始めていた。
少し早めに港へ向かおうと思っていると、この日もドライバーさんが言った。
「もう一か所、行きましょう」
こうして車は、久賀島潜伏キリシタン資料館へ向かった。
(つづく)
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