「この坂を越えたなら」――久賀島・旧五輪教会への道

五島列島の旅も、いよいよ最終日となった。
この日は、福江港を9時10分発の船で久賀島へ渡り、12時30分の船で再び福江島へ戻る。その後は福岡空港へ飛び、乗り換えて伊丹空港へ。さらにマイカーで自宅へ帰り着いたのは午後7時だった。
振り返れば、この旅で一番“乗り物に乗っていた日”かもしれない。
80代の旅としては、かなりの強行軍だろう。けれど私は、昔から「サッと行って、サッと帰る」のが流儀である。
実のところ、旅行会社のパンフレットを見るたび、「もっと安く、もっと中身の濃い旅ができるはず」と考えてしまう。自分で計画を組み立てるのが好きなのだ。
そして、この日どうしても行きたかった場所が、久賀島の旧五輪教会だった。
ただし、ここへ辿り着くには体力が要る。
この日もタクシーを3時間だけ予約していた。予定通りに動かなければ、見たい場所を削るしかなくなる。限られた時間の中で、旧五輪教会は最優先だった。

旧五輪教会は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する「久賀島の集落」に建つ教会である。

田ノ浦港からタクシーで約40分。さらにそこから徒歩で10分――と聞けば簡単そうだが、実際にはそう甘くない。
行き着くまでに50分、見学して戻るのにまた40〜50分。3時間のうち、実に2時間近くを費やす場所だった。
それでも、「どうしても行きたい」という気持ちが勝った。
車を降りて歩き始めると、登り口には木を切った杖が置かれていた。ありがたく一本借りて歩き出す。
最初は「案外歩ける」と思った。だが、その直後に山道の急な登り。曲がったと思えば下り、そしてまた登り。
このあたりで、頭の中では完全に“危険信号”が点滅していた。
それでも、ここへ来るために自分で組み立てた強行スケジュールである。プランナー本人が途中で引き返すわけにはいかなかった。

ようやく山道が終わった頃、視界の向こうに海が開けた。
そして湾の先に、小さく五輪教会が見えた。

「やっと着く」と思ったのも束の間、今度は照りつける太陽の下、海岸沿いの道を歩くことになる。目の前に教会は見えているのに、近づくどころか、むしろ遠ざかっているようにさえ感じられた。
1985年(昭和60年)、すぐ近くに新しい五輪教会が建てられ、旧五輪教会はその役目を終えた。

現在残る建物は、創建当時の姿をよく伝えている。移築時に正面玄関が加えられ、祭壇背後の下屋も拡張された形跡があるという。
木造瓦葺き平屋建ての外観は、尖頭アーチの窓を除けば、一見すると和風建築そのものだ。しかし内部へ入ると印象は一変する。
三廊式の空間、板張りのリブ・ヴォールト天井、そしてゴシック風祭壇――。日本家屋の中に、西洋教会建築が息づいていた。
この教会は、当時の教会建築を知るうえで極めて貴重な存在として、1999年に国の重要文化財に指定されている。

前日の「洞窟のイエス」への岩場も相当きつかったが、あちらは足場が悪いだけだった。
こちらは違う。
「この道は、いったいいつ終わるのだろう」
そう思いながら歩き続けた。
けれど、不思議なもので、帰り道は行きほど遠く感じなかった。
まさに、「この坂を越えたなら」。
そんな思いで辿り着いた教会だった。
教会脇の空き地では、数匹の猫たちがのんびり昼寝をしていた。
厳しい道のりの先にあったのは、静かで、穏やかで、どこまでも長閑な島の時間だった。

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