祈りが隠された洞窟へ ― 上五島・キリシタン洞窟を訪ねて

上五島で、私が一番行きたかった場所は、小船で渡るキリシタン洞窟だった。
冷水教会で思いのほか長居をしてしまい、キリシタン洞窟へ渡る船の予約時間15時には到底間に合わないと思った。
それでも、ドライバーさんは慣れた山道を迷いなく走り、信号もほとんどない道を抜けて、深浦港には10分遅れで到着できた。
岸壁では、祥福丸の船長・坂井さんご夫妻がにこやかに迎えてくださった。
その笑顔にほっとしながら船に乗り込むと、ほどなく出航した。

暑くも寒くもない海の上を、船は跳ねるように進んでいく。
やがて、海蝕によってできた「ハリノメンド」が見えてきた。
五島の方言で「メンド」は穴の意味で、「針の穴」という意味だという。

その姿が、幼子イエスを抱くマリア像のシルエットに見えることから知られるようになったそうだ。
船が速度を落とし、ゆっくりと近づいていく。
「ああ、これがハリノメンドか」
写真では何度も見ていた場所が、少しずつ大きく、はっきりと目の前に現れてくる。その瞬間、胸の奥が満たされていくような感動があった。

上五島では多くの教会を巡ったが、この場所だけは船を仕立てなければ来ることができない。
個人旅行にはなかなか難易度が高く、「ここへ来ること」が今回の旅の大きな目的でもあった。
船はハリノメンドの裏側へ回り込み、さらに10分ほど進んだ。
やがて速度を落とし、船長は慣れた手つきで険しい岩場へ船を寄せていく。
そこが「キリシタン洞窟」と呼ばれる場所だった。
幕末から明治初期にかけて、長崎では激しいキリシタン弾圧が続いていた。
明治元年(1868年)の「五島崩れ」の際には、3家族12人が迫害から逃れ、この洞窟に身を潜めたという。
洞窟は奥行き約50m。
入口は海側から見えにくくなっていたが、炊事の煙を船から発見され、ついには捕らえられてしまった。
禁教令が解かれる直前の出来事だった。
現在、洞窟の入口には高さ4mの十字架とキリスト像が建てられている。
苦難の中でも信仰を守り続けた人々を祈念し、1967年に建立されたものだという。

船が着いた場所は、切り立った岩がむき出しになった険しい岸壁だった。
すでに別のグループが上陸している。

キリスト像の全景を見るには、この岩場を登らなければならない。
下りる時はどうするのだろうと思うほど足場は悪かったが、ここまで来て登らないという選択はなかった。
私たちを下ろすと、祥福丸は岸壁から離れ、少し沖で待機した。
もう戻る船はない。
岩場を登るしかなかった。

キリスト像の近くまで行くと、この洞窟に隠れ住んだ人々の暮らしは、想像をはるかに超えるものだったのだろうと思った。
先に来ていた人たちは、そのまま洞窟の奥へ進んでいった。

私も一瞬迷った。
けれど家人も私も足元に不安があり、無理をせず引き返すことにした。
船へ戻ると、船長は今度は洞窟の反対側へ船を回してくれた。
そこは、洞窟の出口側だった。

再び岩場をよじ登る。
ちょうど、先客のグループが洞窟から出てくるところだった。
腰をかがめながら進む姿を見て、「やはり入らなくてよかった」と思う一方、洞窟の中は広かったようで、少しだけ心残りもあった。
私はキリスト教に詳しいわけではない。
それでも、この厳しい岩場で数か月も暮らすことが、どれほど過酷だったかは想像できる。
食料を得るにも、人目につかぬよう釣りをするしかない。
見つかれば捕らえられる。
もしかすると、ここへ逃げ込んだ時点で、「生きて帰れないかもしれない」という覚悟もあったのではないだろうか。
美しい海に囲まれた場所だった。
けれど、そこには人間の残酷な歴史が深く刻まれていた。
今もあの断崖と洞窟の風景が、心に残っている。
(つづく)
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