友の恋歌 矢車の花――啄木を思う

矢ぐるま草が咲くと、いつも思い出す歌がある。
それは、友の恋歌と、矢車の花を詠んだ一首である。
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花 歌集「一握の砂」 石川啄木
啄木が函館に渡ったのは、1907年5月4日、21歳のときだった。
同年8月25日の函館大火で職を失い、やがてこの地を離れるまで、わずか四か月ほどの滞在である。
けれども、この短い期間こそが、啄木にとって最も穏やかな時期だったのではないかと思う。
多くの仲間と歌会を開き、仕事にも就き、さらに母や妻子を呼び寄せて暮らした。
生活は決して豊かではなかったにせよ、人とのつながりに満ちた時間だったに違いない。
函館の五月といえば、やぐるま草の季節だ。
当時も空き地のあちこちに、青い花が揺れていたのではないかと想像する。
あの短歌に詠まれた「矢ぐるまの花」も、そんな日常の風景の中にあったのだろう。
啄木は1912年4月13日、結核により26歳でこの世を去った。
翌年、その遺骨は東京から函館に移され、立待岬の一族の墓地に埋葬されたという。

この短歌に惹かれて、数年前に函館を訪ねたことがある。
青柳町には路面電車の電停があり、確かにそこに地名は残っていた。
けれど、百年以上前の啄木の気配を感じさせるものは、見つけられなかった。

そのまま立待岬へ足を延ばすと、思いがけず一族の立派な墓石が建っていた。
後年、啄木の文学的価値が高まる中で整備されたものらしい。
しかし、あまりに整いすぎたその姿に、どこか落ち着かないものを感じたのも事実だ。
啄木はこの場所で、果たして安らいでいるのだろうか――そんなことを、ふと考えてしまった。
毎年、私の庭には矢ぐるま草を植えている。
けれど、これまでは頼りなく、ひょろひょろと伸びては風に倒れてしまうことが多かった。
今年は思い切って庭の一等地に植えてみた。
すると驚くほど勢いよく育ち、今ではまるで“矢ぐるま草のジャングル”のようになっている。
咲いているのは、青い花ばかりだ。
白やピンクもあるはずなのに、なぜか青だけが咲いている。
その青は、啄木の時代に「矢ぐるまぎく」と呼ばれていたものと同じ色である。
風に揺れる青い花を眺めていると、遠い函館の青柳町と、若き日の石川啄木の姿が、ふと重なってくる。
友の恋歌とともにあったあの青い花は、季節が巡るたびに、変わらぬ色で咲き続けている。
そのことが、いまの私には、何よりもしみじみと心に残る。
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