辛い日を選択するという事

「好きなだけ収穫して下さい」とお誘いして下さる畑に今年は行けなかった。
短い期間にだけ生で食べることが出来る杏が、今年は実を付けたからと高い脚立に乗って取って下さった。
大きな箱にトマトと杏がたっぷり入っていた。
毎年この時期は畑に入って袋に入りきれないほどの夏野菜を収穫させてもらっていたけれど、今年はこの時期を外してしまったのに、季節の野菜はいつも通りに届いた。
箱の上から匂うトマトは夏の匂いだ。

今、私は20才以上離れた二人の姉の介護の日々を過ごしている。
と、言っても病院や施設でそのほとんどを看て下さっているのだから大きなことは言えないけれど。
上の姉は骨折するまで住宅型有料老人ホームで過ごしていた。
几帳面な性格なので1mmも生活のペースを崩さない過ごし方をしていた。
それが、ひとたび骨折入院をしたら下の姉を飛び越えてほとんどを寝たきりで過ごすようになった。
励ましは全く聞かず、ベットから降り事も拒否をする。周りも「このお年ですから無理ないですよ」と優しい。
私は下の姉が猛烈にリハビリする姿を見てきたので、もう少しやる気を出してくれれば立ち上がれるのにと残念だった。

10日間ほどケアマネさんやケースワーカーさんと今後の転院先を相談していた。
介護というよりも、そちらに取られる時間がほとんどだった。
下の姉が度々転倒を繰り返したので、上の姉が同じことをすれば住宅型ホームで過ごすわけにいかないというのが大きな理由だった。
昨日、考え方を変えて「上の姉は、もう頑張らなくてもいいんじゃないか」思えるようになった。
寝たきりになるのだったら、今までいたホームに帰れるかも知れない。
そうすれば経鼻栄養も拒否できる。、
その考えを甥や姪に話した。
彼らも同じ考えで「これ以上辛いことを強いるのは止めよう」と一致した。
ホームに相談すると「どうぞ、お帰り下さい」と受け入れてくれた。
上の姉には息子と娘がいるけれど名古屋や京都に住んでいて仕事をしているとなると、どうしても介護慣れした私が頼られる。
元々彼らの姉役だった。
姉の本当の幸せを思う時、家族は辛い選択をしなければならない。

これから姉にどれだけの時間が残されているのか分からないけれど、私達に悔いが残らないように、周りは皆で助け合えるだろう。

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