手放して分かったこと

以前から気になっていた大臼歯を抜いた。

数年間、何とか残そうと頑張ってきた歯である。
歯科の先生も、「まだ手入れはできていますから」と、できるだけ残す方向で診てくださった。

それでも今年は違った。
腰痛や風邪で体調を崩すたび、一番先に奥歯が痛み出す。
「もう潮時なのかもしれない。」
そう思い、体調が戻るのを待って予約を入れた。

それでも前夜は迷った。
「自分の歯は、できるだけ抜いてはいけない。」
そんな思い込みが、どこか心の中に残っていたのである。

診察台に座ると、先生は最後に尋ねられた。
「本当に抜いていいのですか?」
「はい。」そうきっぱりとは言えず、
「……仕方ないです。」と曖昧に答えた。
誰に腹を立てるわけでもない。強いて言えば、自分自身に対してだったのかもしれない。

ところが、抜歯はあっけないほど簡単に終わった。
「はい、これが抜いた歯です。」
そう見せられて初めて終わったことに気づくほどだった。
かなり傷んでいた歯である。
長い間働いてくれた歯は、静かに役目を終えたのだろう。

実は、抜歯は相当体にこたえるものと思っていた。
午後の予定は軽くし、夕食の支度まで前日に済ませていた。
ところが予想は見事に外れた。
全く、痛みはなく、出血もない。
それどころか、体が軽い。
ずっと体の奥にあった、何とも言えないだるさまで消えている。
気がつけば、冷蔵庫の夏野菜を料理し、魚の南蛮漬けまで作っていた。
家族は安心するやら、呆れるやらである。

結局、もっと早く決断すればよかった。
どれほど大切な自分の歯でも、役目を終えた歯は、知らず知らずのうちに全身へ負担をかけていたのだ。

食事がおいしい。
しっかり噛めることは、こんなにも幸せなことだったのかと思う。
悶々と迷った時間も、今になれば無駄ではなかった。

その時間があったからこそ、今日の軽やかさと喜びは、何倍にも感じられるのである。

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