華やぎと違和感のあいだで――ロームシアター京都「神韻」を観て

京都ロームシアターで上演された「神韻」を観る機会があった。中国古典舞踊の舞台だと聞き、以前から中国時代劇などで目にして憧れていたあの優雅な世界を、ようやく生で観られると胸が高鳴った。
中でも、袖口に長く縫い付けられた白絹の袖――「水袖(すいしゅう)」という存在を今回初めて知った。あの袖をしなやかに翻しながら舞う姿は、映像で見るだけでも美しい。だからこそ、どうしても間近で観たくなり、大ホールのかぶりつきの席を選んだ。
幕が上がると、ドライアイスの煙が客席へと流れ込み、その中から現れた踊り子たちは、まさに思い描いていた通りの姿だった。豪奢な衣装、伸びやかな動き。巨大スクリーンに映し出されるCG映像と舞台上の演者が見事にシンクロし、視覚的な完成度の高さに圧倒される。
身体のしなやかさ、回転の美しさ、そして一糸乱れぬ群舞。どれを取っても人間業とは思えない精度で、最初のうちはただただ見入るばかりだった。衣装も細部まで凝られていて、舞台全体が一つの完成された美術作品のようでもあった。
ただ、演目は短編の連なりで構成されており、それぞれに解説が付くものの、前知識のない私には内容の理解が追いつかない部分もあった。純粋に古典舞踊を楽しむつもりでいたため、現代的なテーマや、拷問を想起させる場面などが現れると、気持ちが少しずつ舞台から離れてしまう瞬間もあった。

さらに、繰り返し登場する「法輪大法好」と書かれた横断幕が、舞踊そのものに集中したい気持ちをふと冷ますこともあった。
「人類の至宝――五千年の中国伝統文化」という触れ込みから想像していたものとは少し異なり、全体としてメッセージ性の強さを感じたのは正直なところだ。もう少し純粋に芸術として浸れたら、という思いが残る。
それでも、舞踊そのものの完成度には目を見張るものがあった。アクロバットでもバレエでもなく、どこにも属さない独自の身体表現。あの動きの美しさは、一度は生で観る価値があると感じた。
長年ぼんやりと抱いていた「中国古典舞踊を一度観てみたい」という願いは、確かに叶った。そういう意味では満足している。
ただ、もう一度足を運ぶかと問われれば、おそらく今回が最初で最後になるだろう。
舞台の華やかさと、心に残ったわずかな違和感。その両方を抱えたまま劇場を後にした、そんな日だった。
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