吉田修一著『愛に乱暴』読まされる感覚に引きずられて

「読まされる本」というものがあるとしたら、それがまさに『愛に乱暴』だった。読みたいと思って手に取ったはずなのに、途中からはもう、自分の意思ではなかった。目が離せない。でも心地よくはない。不穏で不安で不可解不思議な本だった。

『国宝』を読んだあと、その余韻を引きずるようにこの本を手に取ったが、内容も読後感もまるで別物だった。『国宝』が深く染み入るような感動をくれたのに対して、『愛に乱暴』はむしろ心を逆撫でしてくる。ずっと胸の内側がザラザラとこすられているような読書体験だった。

それでも、ページをめくる手は止まらない。感情を揺さぶるというよりも、掻き乱される。飲み込みたいのに飲み込めない、共感したいのに突き放される。そんな苛立ちと引力のせめぎ合いの中にいた。

主人公・桃子に対しては、何度も「しっかりしてよ」と声をかけたくなった。肩入れしては肩透かしを食らい、共感しようとしては突き放される。気づけば、彼女の行動に感情が追いつけず、自分がどこに立って読んでいるのかすら分からなくなる瞬間もあった。

映画化されたと聞き、桃子を江口のり子が演じたと知って、妙に腑に落ちた。あの空気感と距離感をまとえる女優は確かに彼女しかいないように思える。ただ、現実にああいう女性に出会ったことはない。感情の形が読めず、どこか異星人のようでもある。

そんな人物に対して、腹を立てながらも目を離せない。終始イライラさせられながらも2日で読み切ってしまったという事実は、この作品に何かしらの力があるということなのだろう。面白いとも、感動したとも言い切れない。それでも、「忘れられない読書体験だった」とは確かに言える。

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