女の怒り方 ‐ 佐藤 愛子
キャンドル
夏らしい夕立ちです。
雨足の激しい庭を見ていると、水を吸った土から埃の匂いがあがっている。
なつかしい感覚がよみがえるようです。
「ブログのコメントはみなさんに読まれるから結構書きにくいわ」と、友達が電話をしてきた。
「あなた、元気ねえ。そんなに怒る事があるの?私なんか目の前で精一杯よ。どうにもならない事にエネルギー使うの勿体なくない。あなたにいうと、また怒りそうだけど」
即座に私は、しっかりテンションを上げて怒ってしまった。
「おー恐わ」とそそくさに電話は切られた。
彼女は、普通に感想を述べてくれたに違いない。
「旅行の話があるでしょうに」「庭の花は、どうなっているの」
私もブログを書き初めた時は、雑記ばかりになるとは思ってもなかった。
私は佐藤 愛子さんの本を読むと、スカッとする。
真っ当に怒るからかもしれない。
いいものはいい。悪い事には悪いと。
はっきりいいにくい世界が、その裏にはあるからだ。
「女は何故正しい事ばかりをいうのか」どこかの本屋で見かけた本のタイトルに書いていた。グッと詰まる思いは確かにある。
「清濁合わせのみ、酢いも甘いも…」といわれると、大人気ないように思うこともあるが、
「清水魚住まず」とうそぶく企業形態は、果たして大人の仕事でしょうか。
やはり、真直ぐ「おかしよーーーー」といい続ける私がわたしでしょう。
コメント
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古来人間の歴史は一握りの権力者に依る支配の構図です。
権力者は旺盛な征服欲で他を蹴落としてでも頂点を目指そうとします。その過程で一般的に言う倫理観の喪失生じることにもなります。このことが大衆には我慢できなくなりいつの世にも「怒り」は噴出するのでしょう。
しかし、だからと言って諦めては何事も変わりません。最初は山の小さなせせらぎがやがては大河になるように、庶民一人一人の小さな怒りがやがては歴史的な大事件に収斂されてきたという歴史も我々は学んできました。
「一寸の虫にも五分の魂」庶民がしたたかに生き残ってきた事実を貴重とせねばならないのでは?
jさん、コメントありがとうございます。
ブログを書くという手段を得て、浅薄を晒しながらも、自分の意見を発信出来ることは嬉しいことです。
意見を持って、世の中を見る方が性に合いますね。
民営化賛成同感です。反対派は郵貯がもたらす特別会計を選挙対策に欲しいままに使ったいう過去の甘い汁の体験から抜け出せないのでしょう。その結果様々な分野で膨大な赤字を抱え込んで喘いでいるのに。
どっちが「禿げたか」か、まさに詭弁と言うほかにいいようがありません。
Jさん、こんばんわ。
郵政民営化に力強いご賛同を頂いて、ホッとしました。
まさかと思う議員さんが反対なさると、私がおかしいのかなあと思うこともありました。新聞やニュースから色々学びました結果、絶対成立させるべきと強く感じています。