あきんど ‐ 幸田 真音

幸田真音著「あきんど」を読んで彦根に「湖東焼」があったことを知りました。
経済小説の幸田さんの「あきんど」という表題にアレッ?意外。
帯を読むと幕末、近江商人の興した湖東焼という幻の窯のことらしいと読み始めた。
ところが、幸田さんはやはり経済小説の名手、時代は幕末でも今で言うところのベンチャービジネスの話なのです。
と、単純でもなく奥深い本です。

古着屋、絹屋半兵衛は好きが高じて家業の古着屋を妻の留津に任せ、先も見えない開窯を試みる。
その初期投資に乗合商法を勧めたのは妻の留津である。
つまりリスクを分散する、共同出資のことである。
留津は大店に奉公をした際にそういう知識を持っていたらしい。
この時代に大店となると男女隔たり無く商売に関する教育は熱心であった。
近江商人はそういう教育をしてきたから、今日の基盤を築いたのではないかと思う。
びわ湖の湖上を船で荷物を運び、日本海から蝦夷地にまで販路を広げている。
本題から外れるが、天保の飢饉では近江商人は下関から船で蝦夷まで3500表の米を運んでいる。
焼き物は半兵衛の真剣な取り組みで立派な物が創れるようになっていくが、既に有名な焼き物は近くには京、瀬戸にあり、販路の開発はむつかしく、藩からの借り入れで凌ぐ事になった。
優れた焼き物は、彦根藩から他国への献上品として重宝されてきたが、藩では湖東焼きを次の鍋島にしたくなり、ついに貸し付けた金をかた藩窯として召し上げてしまった。
そしてより一層の上物を目指し、有田、京、多治見から職人を集め藩窯として鍋島に劣らない焼き物をつくろうと励んでいた矢先に、桜田門外の変で井伊直弼氏が倒れた。
彦根藩は10万石の減石処分を受けて、この窯を持ちこたえられなかった為に民間にゆずりその後廃窯となった。
近年復興する動きもあるとか。

この小説では井伊直弼の安政の大獄での悪役イメージを覆し、「何事も道を究める直弼の几帳面さが、周囲からの恨みを買おうとも使命感を貫きひたすら走るしかなった」と記されている。
不遇な幼少時代を彦根で過ごした直弼は、市井の商人と語らう事が好きだった。
その商人絹屋半兵衛は後にベンチャー窯業を興し、国営に発展させた。
またあきんどの嫁は、夫を支え使用人の間に目を配り、店をしっかり守った。
「あきんど」は時代背景、登場人物全てに厚みがある。
ストーリーにスピードがあり、飽きずページをくる。
次の大河ドラマは、これに決まりと進言したくなるほど面白い本でした。

私がブログを始めたのは2005年3月9日でした。
何時の間にやら4年が経過しました。
心がけたのは出来るだけの毎日更新でした。
日記も書いたことが無い私が続けてこれたのは、アクセスしてくださる皆様のお陰と感謝申し上げます。
そろそろ書くこともなくなりましたが、風が吹けば風が吹いたと書く程度に続けられればいいなあと思っています。
これからも宜しくお願いいたします。

今夜は「かんじる比良実行委員会」深夜に、朝刊と競争で帰って参ります。
それで早めにUPして出かけます。

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コメント

    • yuzu
    • 2009年 3月 10日

     今日から5年目 おめでとう 頑張らず続けて下さい 楽しみに毎日訪問してますから 3月9日 母の誕生日でもあります 81歳になりました プレゼントもって妹と行ってきます

    • skog
    • 2009年 3月 10日

    yuzuさん
    ありがとうございます。
    ブログを休むと、すわ病気かと心配してもらえるのが嬉しくて、時々仮病も考えないわけではないのですが、思えば一日も病気をしてないのです。
    頑張らずにがんばりますね。

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