九州の旅ー外海の出津集落

写真の出津教会は、1879年にド・ロ神父が出津に赴任し、信者と力をあわせ1882年に完成させたもので、「長崎、天草の潜伏キリシタン関連遺産」を包括する教会である。

ガイドさんとの約束時間に教会に着くと、既に待って下さっていた。
2時間近く、丁寧な説明を受けながら出津地域を歩いた。
キリシタンにに関する厳しい弾圧の模様は、遠藤周作の「沈黙」の中で詳細に書かれているし、映像としては「沈黙 -サイレンス」が2016年に公開されている。

外海はキリシタンに厳しい取り締まりをしていた大村城下から遠く、また出津や黒崎などは比較的寛容な佐賀藩の飛び地も混じり、多くの潜伏キリシタンが存在した。

「沈黙」の本によると、弾圧により多くの信者、神父が凄惨な殉教を遂げた。
キリスト教徒は弾圧を逃れるためには、仏教徒を装い、仏式行事などに出席した時は、仏式を払う儀式をしてキリスト教を守り続けた。

仏教徒の国の国民がそこまで信仰した「キリスト教」とは何ぞやと言う思いは私に付きまとった。
子供の頃に短い期間「日曜教会」に通ったことがある。
動機は、珍しかったからに他ならない。
毎晩眠る前には「天にまします我らの神に」一日の罪を詫びていた。
そもそも、神様は居られるのか。
神様は信徒がどんな苦境にあっても常に「沈黙」であった。
今も、大きな災害があると「神も仏もない」と私は嘆いている。

さて、出津地域に話を戻す。
信仰は部落単位で行われているので、出津地域には今でも「隠れキリシタン」と呼ばれる地域が2部落あるという。
ガイドの説明は弾圧の事ではなく、フランス貴族出のマルク・マリー・ド・ロ神父の偉業を語るものだった。
出津教会は、強い海風に耐えられるように屋根を低くした木造平屋で、漆喰の白壁は清楚なたたずまいで美しい。
貴族であったド・ロ神父が資材をなげうって建てたと言われている。
外国人神父の設計による初期教会として、2011年に国の重要文化財に指定された。

『フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業などの広範な分野に渡る技術を外海の人々に教え、「ド・ロさま」と呼ばれ親しまれ、外海地区の住民たちに伝えた製麺技術は「ド・ロ様そうめん」として現在に至るまで愛用されている。
地域の貧困者や海難事故で未亡人となった女性を進んで雇い、西洋式の機織や日本初のマカロニ製造工場でもある「そうめん工場」を造り、人々の宗教的指導者であるとともに地域の経済的発展にも貢献した。また、農業用地を買い取り、フランスから持ち込んだ農耕用具で自ら開墾を行ったほか、当時、日本では珍しかったドリルや滑車なども彼が持ち込み、20世紀初頭の西洋と長崎の文化的掛け橋となるとともに、あらゆる分野でその功績を残している。(Wikipedia)』


ド・ロ神父が作った授産施設


土・ロ神父の散歩道
教会、授産所、自宅の周りに造られた、気持ちの良い散歩道。
歩くうちに身が清められるような風が吹き、風景が広がる。

外海はかつて、開墾した時に出た結晶片岩を使い、赤土と藁すさを練り込んで築いた伝統的な石壁であったが、ド・ロ神父によって、藁すさに代わり赤土に石灰を混ぜる練積みの石垣である「ド・ロ壁」が出来た。
2012年には「長崎市外海の石積集落景観」として国の重要文化的景観に選定されている。

直ぐ近くに「遠藤周作文学館」がある。
ここは、遠藤周作の作品や年表が展示されているけれど、一番の見どころは「五島灘に沈む美しい夕陽」である。
と、言うのは私の私見で文学館の見どころは大きい。

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