関西淡路大震災から28年-その喪失感

28年前の大震災で6,434人の方が亡くなった。
あの日、我が家も大きく揺れた。
震災の日、所用で出かけた京都の町は何事もなかったように普通の時間が流れていた。
夜になって全容が分かると、その映像は想像を絶する光景だった。
毎日テレビを観ていたけれど、どうすることも出来ずもどかしく時が過ぎた。
NHKの安否確認に姉母の友人を登録して、無事を確認できた。
どんな方法で手続きをしたのか全く覚えてないけれど、安否確認の放送を聞いている人が多かったからだろうか。
たったそれだけしか出来なかった。

人はいつかは亡くなるけれど、残された方が辛い事は昨年身をもって知らされた。
44年間、半径8mの近さで過ごした隣人が師走にこの世を去った。
その前日までLINEは繋がっていた。
今もそのLINEを見て涙があふれる。
天国に届くLINEはないものか。

震災でご家族を亡くされた方々の喪失感が28年前よりも胸に迫った。

先日10年前にご主人を失くされた友人と会った。
彼女は「会いたいの。会えない事が寂しい」と語った。
空気のように傍にいるのが当たり前の人を失くした後、人はどうやって立ち直るのだろうか。

関西淡路の後、三陸沖も大きな地震と津波に襲われた。
三陸沖地震の震災跡地に一昨年旅をした。
語り部として話をして下さった方々は、個人的な感情は出されず淡々と話しをされた。
震災遺構は「残したい」人と「壊してほしい」人がいる。
「絆」「忘れないために」と遺構を保存する人の気持ちも分かるが、この頃は「残したくない」という声が理解できる。
「忘れないで」「思い出したくない」
相反する思いが心の中で戦っている。
人も物も「思い出」という糸で、がんじがらめにくくられている。
思い出は、残された人の胸の中でほどかれ生きている。
それが苦しい。

天国へ送るLINEはないものか。

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