ナイル河の旅ー3

ギザ駅からアスワンまでを寝台特急ナイルエキスプレスで移動した。
狭い上にひどく揺れる。水はちょろちょろとしか出ないと散々脅かされて乗り込んだが、私にとってはかなり快適な宿だった。
添乗員さんは急行高千穂や特急富士といった九州東京間を結んでいた寝台特急をご存知ないのかも知れない。
九州から上京するには20時間近くを狭い寝台車で過ごした事がつい数年前のように思い出され懐かしくもあった。
部屋には小さいながら洗面所があり、夕食朝食が飛行機の機内食のような形で配られる。
急行高千穂のことを思えば夢のようですらある。
久しぶりに線路の音を聞きながらとろとろと眠りに着いた。
この電車は午前8時15分にアスワンに着く予定であるが予定通りに着くことは奇跡に近いと近いといわれたが、その情報は正確で2時間ほど遅れた。
椰子の木とクローバーとサトウキビの畑が続き、ナイルが見えるとクルージング船がゆったりと浮かんでいる。
その景色は目を覚ましてアスワンに着くまで変わらなかった。
中学の時に聞いたナセルの名前を持つダムと琵琶湖の7.5倍もあるというナーセル湖についに出会った。
このダムによりナイル河の氾濫は治まり電力の供給が出来ると歓迎されたというが私が垣間見る限りそうとも言い切れないような気持ちになった。
ナイル川の氾濫はいきなり来るものではなくじわじわと這い上がってくるので予測が出来、氾濫が治まると肥沃な土地で作物が造れた。
今は見渡す限りのサトウキビ畑と精糖工場から上がる黒煙が印象に残る。
現在ナーセル湖より砂漠地帯へ水路を引きその周りに新しい街づくりが進められている。
エジプトの収入源のほとんどを観光に頼り、遺跡の観光は¥1000~¥2000ほどがかかる。
それでも砂漠地帯に水を引き町を造るというのは遠大な計画である。
女を働かせる男は甲斐性なしといわれるとかで、女性を家の中に閉じ込め街中は男ばかりが目に付く。
パン、パスタ、米の炭水化物の多い食生活では家にこもる女性は太りすぎになる。
この国の平均寿命は60歳代と聞いた。
一夫多妻の国で、子供は沢山いるが男社会だけではこの国の先行きはお節介には違いないが心配になる。
ファルーガに乗った時19才と6才の兄弟が操船していた。良く似ているが顔のカラーが違う。
「one father and two mother」とケロリとしているのもなんとも不思議なものだった。

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