妄想する庭

ヘルマンヘッセは
庭仕事は瞑想である!草花や樹木が教えてくれる生命の秘密!といって庭を通じて自然と人生を見つめている。
私の庭は瞑想するには狭すぎる。
瞑想どころか、落ち葉程度で悲鳴をあげているのが現実。
京都人の家人は家に入る前に箒を持つ人で助かるけれど。
去年挿し木をしたブルーセージが今年は私の背丈を越して成長した。
下には水道メーターがあるので、気が気ではないがセージの花はジャックと豆の木のように毎日生長を続けている。
やっと花芽がつき今が満開になった。
満開になったら切ろうと思っていたのだけれど、今は少し枯れたらと気が変わっている。
後ろにあるつるバラに病気が発生しているし、その手前に植えた、トラの尾は姿さえ見せなくなった。
大きな庭があったらこのくらいのボリュームが欲しいけれど。
ターシャの年齢までには未だ間があるから大きな庭で瞑想するのも悪くないか。
自分の庭は小さく、大きな庭は楽しみに見て歩くのが正解だろうか。
私の庭は、瞑想するより妄想する庭。

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コメント

  1. 妄想も楽しみのひとつ。
    「自分の庭は小さく」正解かもしれません。
    メンテナンスがお好きな方は「大きな庭」でしょうかね。

    • skog
    • 2009年 10月 07日

    タケさん
    やはり、自分の庭は小さくで正解ですね。
    人に任せたのでは楽しみ半減やし、体力を考えれば猫の額がいいでしょう。
    そこを如何に魅力的にするか。
    見える限りの花苗を買いたくなるから始末の悪い庭になります。
    来年こそと毎年今頃は思うのですが・・。

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