手伝うも手伝わすも修行

「鉄に出会ってみませんか」も2日目になり、少し余裕が出来ました。
それで、ちょっと横道へ。
昨日の日経夕刊、ももせいづみさんの「手伝うも手伝わすも修行」を読んで、思い当たる節がある。
家人が退職後「家内に(私のこと)いつも怒られるけれど、何故怒られるのか分からない」と事あるごとに知人に話す時期があった。
私は、冗談とは思わなかったけれど、意味が分からないという家人のぼやき
に少々苛立っていた。

今日のコラムを読んで家人の気持ちが少し理解できた。
つまり、私にとって当然とする家事の手順が家人にとっては「初めてのお手伝い」に等しい事であり、家事のリーダーは私で家人は常に言われた事しか出来なかった。
しないのではなく出来ないのである。
それは何故か、気を利かせてやってくれると大事な花芽を抜いたり次はどうすると声かけが頻繁に来る
その度に私の手が止まる。
何もしないでくれたらどれほどいいかと私は私で思案投げ首である。
本当に何もしないでゴロゴロされればもっと苛立ったかもしれないのだけれど。
「手伝うもほうも難儀、手伝わせるほうもも難儀、修行ですなあ」と締めくくるももせさんのコラムにうなづいている。

200706

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