茨木のり子の献立帖,茨木のり子の家 ‐ 茨木のり子 

図書館で「茨木のり子の献立帖」を見つけた時は嬉しかった。
普通に書店で探しても中々見つけ出さないだろう本が偶然に書架に置かれていた。

茨木は姉母と同世代なので実像を想像しやすい。
「私が一番きれいだったとき」で「だから決めた出来れば長生きすることに」と書いていた茨木は79才、くも膜下出血で急逝した。

この本は、残された料理の献立表や台所の図面やリビングの写真をまとめ、料理を再現して作られた本だ。
医師であった夫、安信の為に心を砕いた献立だけれど、元々料理には情熱を傾けるタイプのようだ。
のり子35才の時に夫の安信は、くも膜下出血で倒れている。49才の時に肝臓がんで他界。

「茨木のり子の家」という本もあるらしい。
「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」という強い言葉で詩を書いた人だけに写真からうかがえる暮らし方にも凛としたものを感じる。
献立の後には一言その日のコメントも書かれている。
実は私も数十年献立とメモを書き続けた事がある。
数年前を読み返してはその頃の暮らしに浸ることもあった。
最近の断捨離で段ボールにたまった日記を一気に処分したけれど今にして思えば勿体ないような気がする。
けれど、私は茨木のり子ではないのだから、私以外に必要とする人はないだろうから捨てて正解。
そんなふうに思ったのもこんなページを読んだから。

今でも材料をそろえるだけでも面倒くさいと思えるガスパチョやパエリヤ等が作られた台所に興味が湧いた。
1958年に竣工した家だけれど、生活の中心となるLDKが2階にあった。
冷蔵庫置き場は床が40cm上がって使い易くなったいる。
今では普通になったけれど、食堂と台所をハッチで連絡するのも当時は珍しかっただろう。

料理、仕事、韓国、ファッション等、興味のあるコト・モノを項目ごとにスクラップしてまとめていた。
50才からハングルを学んだという記述もある。
韓流ブームの20年も前の事である。

若い人にも茨木のり子のファンは多いという。
この人の詩を読んでシャキッとして欲しいよ日本の官僚さん。

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