あきない世傳金と銀(4)貫流篇 ‐ 高田 郁|大阪洒落言葉の解説の面白さ

高田郁さんの本は半年ごとに出版されると聞いていたので、8月は気にして時々チェックしていた。
それでも、気が付いたら既に書評がネット上にあった。
書店に行くのももどかしく、パソコンから「ポチリ」と叩くと翌日の午前中には手元に届いた。
早速読み始めたけれど、私の読書時間はベッドの中の時間のみ。
読んでは眠り、目が覚めるとまた読んで眠り、一晩中読んでいるようなものだった。
栞を入れる間もなく眠るので、いつ目覚めても自分の指が栞のように本の間にあった。

ニュー鉄砲百合

これから読まれる方のためにネタバレを書くことは出来ない。
けれど、主人公「幸」は知恵を絞って呉服屋五鈴屋をますます繁栄させている事はお伝えしてもいいだろう。
の本は若くて美しい女性が主人公で、苦労の末に花を咲かせるという手法は「みをつくし料理帖」の時から一貫して同じである。

「みをつくし料理帖」では本の中で作られる料理のレシピが巻末に書かれていた。
「あきない世傳金と銀」では大阪洒落言葉の解説がある。これがとてつもなく面白い。
このような言葉のひとつふたつは、どこかで聞いたことがないだろうか。

『去年の暦』これは「当てにならない」と言う意味。
私の母が言っていたような気がする。
『金魚の刺身』には吹き出した。
「きれいでも食えぬ」という事だとか。

本文の中でも『女衆が時々仏像になる』と言うくだりがある。
目の前で主家のゴタゴタが起こると、お竹(女衆)はいつも背筋をぴんと伸ばし「半眼の仏像」と化して、巧みに存在を消していた。
「家内にゴタゴタが無くなると生身の人のままだすなぁ~」という事になる。
このくらい気の利いたセリフがポンポンと出る会話は、さぞかし楽しいだろう。
しかし、今は何処にも通じないだろう。

高田 郁の本を全て読んでいると、仕草の表現にも以前の本と同じ場面に出くわす。
ほかの作家さんのシリーズではどうだろうか。
好きで読み続けたい作家さんだけに、少しマンネリ化してきたのかと気にかかっている。

以前の「あきない世傳金と銀」の記事はこちらからどうぞ
あきない世傳 金と銀 源流篇 ‐ 高田 郁
あきない世傳金と銀(2)早瀬篇 ‐ 高田 郁
「みをつくし料理帖」の記事はこちらからどうぞ
みをつくし料理帖 ‐ 高田 郁

トウゴマ ブラックナイト
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